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    ビバ★ヨルダンの死海!!

    • 2006.05.29 Monday
    • 03:26


    無事にアンマンへ着き、クリフホテルへ。
    ここは前から是非とも行ってみたかった場所。
    理由の一つはここで働いているサーメルさんに会いたいことと、
    もう一つはあの香田さんがイラクに旅立つ前、泊まった場所でもあるからだ。
    サーメルさんはパレスチナ人。
    365日間働きっぱなし。
    一度も休んだ事がない。
    なのに、笑顔で一生懸命働く姿は正直心が打たれる。
    彼は日本人が好き。何がほしいって聞かれてチャイと答えてもネスカフェをくれるというやさしい心の持ち主。
    ネスカフェは彼のなけなしのお金で買っているのでとても申し訳無い気持ちでいっぱいになる。
    中東の情報ノートでよくサーメルさんのことが書かれていて、
    「人間国宝」とまで讃えられていた意味がわかった。

    サーメルさんは香田さんがイラクに行く前、今は危ないからと必死に止めたらしい。
    でも彼は聞き入れなかった。
    諦めたサーメルさんは渋々イラクへ行くバスを手配したとか。。。
    なのであんな事件になってしまい、苦しかっただろう。
    二度とあんな事件が起らないように。。。


    ここアンマンでは念願の死海にて浮いてきた!!!
    当初の予定だったら、2〜3人くらいでタクシーで行こうかと思っていたが、あれよあれよと人が集り、総勢11人。
    オール日本人&韓国人のみ。
    日韓死海ツアー。
    ミニバスチャーターしていざ出発!
    ドキドキワクワク!!

    死海は思ったより観光地でいっぱい観光客がいました。(そりゃそうだ)
    普通にシャワーあるし、パラソルもある。リゾートちっく。
    おそるおそる入った後の死海に浮いての第一声が

    「……おもしろーい!!」です。(…普通)

    本当に面白い!!びっくり

    本当に浮くーーーーー!!!びっくりびっくり
    どんな金づちでも、浮くよこれは!!
    立って地に付かなくてもジャンプできます。
    舐めてみると当たり前だが想像以上のしょっぱさ。
    塩濃度25%ですもんね。
    最悪なことに目の中に入ってしまい、失明するかとおもった。。。冷や汗

    ひと通り泳ぎ終わってから、ドロパック。
    一時間おいた後、流すとスベスベ。

    死海では夕日を見ながらのプカプカです。
    はあ・・・
    幸せかも。。。
    思った以上の楽しい体験だった。
    多分韓国人の方たちの交流もあってかもしれない。
    こんな韓国人と触れ合ったのは初めてなので興味津々。
    やっぱり、韓国人男性って紳士的だ。話してて気持ちいい。

    終わってから日韓交流でパブなんぞ行きました。

    ところでこのアンマンのクリフホテルにはあの香田さんも見たと思われる情報ノートがある。
    2年前のイラク情報などが書いてあり、これを読んで香田さんはイラクに旅立ったのだなあ・・と推測できる。
    だからサーメルさんが言ったことも、うのみにしなかった。
    生前の香田さんの写真もあった。
    。。。何かこみ上げてくるものがあった。
    ここにいると日本では遠く感じていたものが、ものすごくリアルに感じられる。
    彼はごくごく普通の日本人旅行者だった。
    私たちと同じく。


    レバノン→シリアの国境越え

    • 2006.05.26 Friday
    • 18:53


    ベイルート→ダマスカスの国境越えは大変だった。。。
    レバノンに入るときはボーダーのおっさんも「ウェルカム!」なんつって笑顔で迎えてくれたが、逆は打って変わって冷たい……。
    笑顔で迎えてくれません。
    しかも、荷物検査も手厳しく、あの重い荷物を出したりしまったり、それだけも疲れる。
    何も悪いことしていないのに、ドキドキするのはなぜだろう。

    レバノンからヨルダンに行くときでもシリアに入らなければならないので
    またシリアのトランジットビザを取らなければならない。
    8U$。
    だが、ホテルで出会った韓国人のジュンは(ダマスカスでまた再会した)トランジットでも25U$かかると言われ(普通の15間有効ビザ)、一日なのになぜだ!?と抗議してもむかっつっぱねられ、一度ベイルートでタクシーに戻り、宿の人に確認し、やはり8U$だとわかった上でまたボーダーにタクシーで戻り、抗議してもむかっ25U$。
    なので諦めて25U$払ったそう……。
    なので総計75U$使ったとか。(タクシー往復50U$)
    なのでストレスからか体中に蕁麻疹ができていた。
    なぜベイルートに戻ったのかは不明。。。たらーっ
    うわさによるとボーダーの人によって対応が替わるよう。
    だが一緒にいたドイツ人と中国人は通れた。
    本当こればかりは運。
    ジュンは金髪で目つきが若干悪いので(笑)見たくれで判断されたのでは?と思われる。
    怒ると怖いしな〜…。。。
    やっぱり韓国人は意思が強い。

    本当はシリアに着いて、そのままヨルダンと思ったが、一日2回の国境越えはきついかも!と思いダマスカスで一時休憩。


    レバノンで初めてアメリカ人と会った。
    もちろん中東ではアメリカ人が嫌われている。
    トルコでアメリカ人と知らずに「どこから来たの?」と聞かれ「US・・・」と答えると100%の確率でブッシュの話題がでる。
    さも憎々しい感じで「ブッシュ!」と罵るのだ。
    レバノンであったアメリカ人もブッシュのせいで旅がしづらくなったと嘆いていた。
    だが宿で働いていたシリア人の青年が
    「アメリカ人はナイスピーポーだ! だがブッシュだけは嫌いだ!!」
    と言っていたのは救い。。。

    ちなみにシリアと北朝鮮はお友達のようで珍しく北朝鮮大使館がありました。
    韓国人であるジュンは写真を撮りまくっていた・・・。

    金曜日。
    中東では日曜日にあたる。
    もののみごとに店が全部閉まってる。。。。
    静かだ・・・月
    3時のバスでヨルダン、アンマンへ・・・・





    レバノン==================================
    【滞在期間】 3日間(5月23〜25日)
    【移動経路】パルミラ⇒ホムス(バス)⇒トリポリ《レバノン》セルビス⇒ベイルート(セルビス)
    【使ったお金】41U$=4,920円(1U$=約120円)

    ■予算情報■
    ・ホムス《シリア》→トリポリ《レバノン》のセルビス代(2U$)
    ・トリポリ→ベイルートのセルビス代(3U$)
    ======================================


    ※もっとレバノン写真(14点)を見る←


    空爆を受ける一ヶ月前のレバノンで

    • 2006.05.25 Thursday
    • 15:55


    パルミラからバスでホムスへ向かい、ホムスからセルビスに乗換え、レバノンのトリポリ、また乗換えでベイルートへ。
    一気の移動にベイルートの宿に着いた時には疲れ果てていた。

    しかし、パルミラからホムスのバスにて、ちょっとビビってしまった。
    当たり前だが全てアラブ人。
    東洋人の私はかなり浮く……。
    みんなにジロジロ見る。
    ……し、視線が怖い。
    一番の後頭座席に乗る。両隣に座っていたアラブ人が目を見張る程、綺麗だ。
    目鼻立ちくっきり…。
    クレオパトラ並みの濃い化粧。だけどケバケバしくない。
    そしてかぐわしい香り…。
    私が眠くてウツラウツラしていたら右側に座っていた女性が私の肩をポンポンと叩き自分の肩に寄りかかるか、お膝元に横になれという。
    …そ、そんなことできません。
    恐れ多い……。
    大丈夫と彼女らに告げるとにっこりと笑った。
    やさしいお言葉ありがとう。。。。ときめき

    実はホムスからレバノンに入国するとトランジットビザ(48時間)ではなく一週間ビザがとれると聞いていた。
    だが、入国していざパスポートを見ると、
    「トランジットビザ」のスタンプが。
    くそー、うまく言ったはずだったのに…言葉足らずだったか……。
    ショックしょんぼり

    ベイルートに入ってひと言。
    「都会だー…」
    シリアと打って変わり近代都市です。
    ですが所々見ると内紛の生々しい傷跡が。
    そういえばレバノンはちょっと前まで無法地帯だった。
    ビルの所々に銃弾の痕、空きビルを見るとそれを実感する。

    宿のオーナーや、働いているアレッポ出身の青年は実に楽しかった。
    アレッポ青年はいつも鼻歌を歌っていて、おどけている。
    自炊していた時、彼とふざけ合ったことと、テラスから見た夕日が忘れられない。

    実はレバノンまでの道のりに私はナーバスになっていた。
    出会い別れが立て続けにあったのと、一人になってこちらのレバノンに入国することに突然不安にかられたのだ。
    一瞬、過酷に感じた旅に疑問を感じた。
    旅とは楽しいもの。なんでこんな苦しい思いをしているのだ?

    その時、ベイルートの宿である日本人の男性と話をする。
    彼の名前はヒデさん。
    アフリカの2年間の旅を経て、イスタンブールから日本へ帰るという。
    山が好きだそうで世界のほとんどの登山は制覇。
    歩くこと自体が好きだそうでスペインの巡礼の道も2ヶ月かけて歩いたという。
    以前は海外青年協力隊でパプアニューギニアに行き、船関係の技術を教えていたらしい。
    その後は手話の勉強をしJAICAで勤務。
    耳が聞こえない人が表情豊かに意思を伝えようとしているところを見て、言葉より表情、動作で伝えようと心がけているらしい。
    帰国してやりたいことは屋久島で山のガイドをすること。
    経歴もさることながら、それ以上にいろいろ苦労もしたらしく、理想と現実の違いに一時期は悩んだらしい。
    ヒデさんは言う。
    「全ての経験はかならず今後の糧になるよ。どんなつまらないと思っている経験でもかならず意味がある」
    その言葉で自分のモヤモヤが晴れていくのを感じた。
    全ての経験になにかしら意味を持つ。
    そう考えるとホッとした。
    内紛の痕を見て、私は目を背けていた。グッタリしていたのだ。
    全てが楽しいことばかりではない。
    人生も呵り。
    レバノンもまた、辛い歴史を乗り越えて今がある。

    そのはずだった。

    私がレバノンを離れて一ヶ月後、ベイルートはイスラエルによって空爆をうける。

    オーナーがシーシャを吸いながらテレビを見て
    「NO WAR!!」
    と叫んだことが忘れられない。





    これがロマンな遺跡……。

    • 2006.05.23 Tuesday
    • 11:06

    アラブ城から見たパルミラ遺跡。
    ダマスカスからバスで約3時間。パルミラへ。
    バスから外をみる。
    なーーーんもないなぁ。
    所々に砂埃が舞う。
    遠いところへ来たなあっと改めて実感。

    パルミラへ到着し、おろされた所は廃れたドライブインらしいものがあるだけ。
    予定ではパルミラ博物館の前で降ろされるはず…。
    どうやら中心部から離れた所に降ろされたようだ。
    英語が通じず、なんとかジェスチャーでドライブインのオヤジに伝えるとタクシーを呼んでくれた。
    だが、値切っても下がらない。
    くそー…、明らかに足下見られました。ショック

    ホテルに着いて早々、パルミラ遺跡へ。
    こちらの遺跡。人があまりいてません。
    なのでゆーっくり浸りながら見る事が出来た。
    ロマンな世界遺産を独り占めだ……。
    いままででもせっかくの遺跡も人が多すぎて、ただ流れ作業のように見る事が度々あったが、一人で見るのは何気に初めてかもしれない。

    そして一生忘れないのがアラブ城から見た夕日……。
    パルミラ遺跡を全て見渡せるし、砂漠に囲まれながら、風に吹かれて見る夕日は本当にロマンチックだ。
    けっこうシリアに来てパルミラをスルーして行く人に会ったが、もったいなさすぎる!

    ダマスカスでパルミラ遺跡に行かない人に理由を聞くとこう言った。
    「旅をしすぎていると見なくてもなんとなく想像できる」
    ……そうだろうか?
    こんな夕日、こんな光景、想像できるのだろうか?
    この風の匂い、行ってみないとわかるわけない。

    そこでは音楽聞きながらずっと浸っていた。
    ロマンだなぁ……
    やっぱ、旅っていいなぁ……。



    シリア===================================
    【滞在期間】 7日間(5月19〜23日、25〜26日)
    【移動経路】アレッポ⇒ダマスカス(バス)⇒パルミラ(バス)⇒レバノン⇒ダマスカス(バス)
    【使ったお金】3300SP(シリアポンド)=7,920円(1SP=約2.4円)

    ■予算情報■
    ・ダマスカス→パルミラのバス代(125SP)
    ・パルミラ遺跡入場料(学生証料金で5SP)
    ======================================


    ※もっとシリア写真(23点)を見る←

    中東だぁ〜!!

    • 2006.05.22 Monday
    • 16:42

    アレッポ石鹸。重いのに結構買っちゃった…

    シリア、アレッポへ。
    一気にアラビアン!!
    全身真っ黒のイスラム女性を普通に見かけるようになった。
    東洋人は珍しいのかジロジロ見られる。
    着いた直後、その視線が怖くて怖くて、散歩もそこそこに部屋に閉じこもっていたがダマスカスにくると、さすがに慣れた。

    シリア人も本当にいい人ばかり。

    スークでは出会った男性にモスクをつたない英語で一生懸命案内してくれた。
    ですがカレはイラン人〔笑〕。
    しかも入場料も払っていただきました。
    50SP〔120円〕と安くはありますがその気持ちがありがたかった・・・。

    シリア人と話をするたび、みんな笑顔でどこからきたの?
    とたずね、ジャパンと答えると
    「ヤパーン!!」
    と言ってくれる。
    アラビア語ではジャをヤと発音するそうでジャはすべて「ヤ」になる。
    5月のトルコは寒かったがシリアに入って一気に蒸し暑くなった。
    中東だぁ〜…。

    ダマスカスの宿では日本人の男性ヒサと韓国人のジュン、中国人(現在はオーストラリア在住)のマイクとで夕食を食べる。
    実にインターナショナルアジアのご飯で、楽しかった!
    ジュンは以前貿易会社で働いていたそうで英語、日本語を操る。
    日本人も知らないようなことわざや四字熟語などを知っているので焦る。。。
    しかもかなり陽気。「マジでー?」と叫ぶイントネーションも良し。
    だが韓国人らしく、目上に対する言葉遣いなどには敏感で年下であるヒサを度々怒っていた(笑)
    ヒサも「敬語ができないんだよねぇ」とぼやきながらもタドタドしい敬語を使ってみたりして憎めないキャラだ。
    マイクは50歳過ぎのパッカーで孤高の旅人って感じでもの静か。
    でも50過ぎで偽国際学生証を使うのでジュンは
    「それはさすがに無理がありますよ」
    と聞こえないように陰で突っ込んでいた。
    あとは夕食こそ一緒に食べなかったがドイツ人のセバスチャンもこの宿で会ったなぁ。
    彼はイケメンで、笑顔がかなりキュートときめき
    実にアクの濃い人達。

    皆ルートが同じなので当時の私はちょくちょく会うだろうな程度で考えていたが
    ちょくちょく所ではなかった……。
    実に今回の旅の中でも大きな出会いだった。



    ダマスカスにて。煙があがっていたので「まさか、テロかっ!?」と一人でビビっていましたが単に蝿の消毒だった…

    トルコ人への誤解

    • 2006.05.16 Tuesday
    • 22:03


    カイセリのハマムで粘度ができそうなくらいの垢を落としてもらい、スッキリした体でカッパドキアへ。
    思ったより人がいなくて静か・・・
    イスタンでもサフランボルでもカッパドキアは怪しい人が多いから気をつけろと言われていたが、実に平和な日々を過ごした。
    夜はギョレメミュージアムの近くの店で働いているトルコ人2人と宿に泊まっているM子さんと一緒にバーべキュー。
    ギョレメワインも3本あけてしまった…。

    トルコ人の一人、アメッドの(友達の名前は忘れた)、ジャパニーズネームは弘。
    私達が命名いたしました。
    意外とトルコ人ジャパニーズネームを持っている。
    宿のオーナーもダイスケと言っていた。
    ジャパニーズネームを持っていた方が日本人とのコミュニケーションをはかりやすいとのこと。
    ダイスケというより「笑っていいとも」のマッスルにクリソツ。
    しかもいいマッスルも持っていたびっくり

    バーベキューが終わったあと、クラブで踊ろうと言われ、M子さんと言ったがジェントルマンだった彼らがうって変わって、馴れ馴れしくなってきた。冷や汗
    それがあからさまで逆に笑えた。
    もちろん、やめろやめろ言ったらやめたが・・・。
    ジェントルマンがみるみる変わってオオカミになった姿がおもしろかった(おもしろいんかい!)

    しかも30歳くらいかなと思っていた彼らはなんと21歳。
    宿で働いている人たちも25歳くらいかなと思っていたら19歳でした(身分証を見せてもらったからホントです)
    マッスルも50歳くらいかと思っていたら33歳でした。

    トルコ人老け顔ですわ。ショック

    トルコ人は確かに日本が好き。
    日本に憧れ、日本に行きたいのも事実。
    なのでイスタンのうざいトルコ人と一緒でトルコ全てがそうなのかと勝手に思っていた。
    でもそれは完璧な誤解。。。。
    ギョレメは本当に静かな田舎。ハイシーズン時のギョレメは知らないが、5月は本当に静かでのんびりしていた。
    サフランボルのおやっさんに
    「カッパドキアは危険だから婚約しているって言った方がベターだ。これをはめなさい」
    と言ってくれたプラスチックのリングを薬指にはめている自分がちょっと切ない(笑)
    あるトルコ人が「イスタンブールはノーグーだ。シティ、ノーグー」
    と言っていたが
    地方でで東京は嫌いっと言っているのと同じなんだろうな。きっと…。


    カッパドキアに行ったら是非UFO博物館へ……。


    ネムルトダーゥ

    その後はネムルトダーゥへ行くため、際寄りの街キャフタへ。
    そこで半日ツアーに参加する。
    ツアーではフランス人の女性カホフとイギリス人のジョージ、南米系のアメリカ人(名前忘れた)と参加した。
    アメリカ人の彼はロス在住の都会っ子。
    南米から移住してきたのか白人ではない。
    彼はアメリカに行った時に見たインディアンと顔つきが似ている。
    眼力がある。
    目が澄んでいる。
    彼と話をすると(あんまり話せなかったけど)ドキりとした。
    ツアーと彼らと一緒にご飯を食べた事も思い出深い。

    その後はキャフタからオスマニアに向かい、シリア国境近くのアンタクヤに向かった。
    行く前のトルコのイメージは行って一掃された。
    イスタン以外のトルコ人は実にあったかい。(ファックオフ事件でイスタンのイメージは悪し)
    彼らの日本人好きは尋常ならぬものがありました。
    是非ともまた行きたいトルコ。
    今度は行けなかったパムッカレとエフェス行きたいなぁ





    トルコ===================================
    【滞在期間】 18日間(5月2日〜5月19日)
    【移動経路】イスタンブール⇒サフランボル(バス)⇒アンカラ(バス)⇒ボアズカレ際寄(バス)⇒カイセリ(バス)⇒カッパドキア(バス)⇒キャフタ(バス)⇒アンタクヤ⇒アレッポ(シリア)(バス)
    【使ったお金】870YTL(トルコリラ)=78,300円(1YTL=約90円)

    ■予算情報■
    ・イスタンブール→サフランボルのバス代(20YTL)
    ・サフランボル→アンカラのバス代(8YTL)
    ・アンカラ→ボアズカレ近くのバス代(11.5YTL)
    ・ハットゥシャッシュ遺跡へのタクシーチャーター代+ヨズガッド(カイセリまでのバス発着地)まで(40YTL)
    ・ヨズガッド→カイセリのバス代(11YTL)
    ・カイセリ→ギョレメのバス代(5YTL)
    ・ギョレメツアー《昼食付き》(40YTL)
    ・カッパドキア→キャフタのバス代(40YTL)
    ・ネムルトダーゥの半日ツアー代(45YTL)
    ・キャフタ→オスマニア(乗換)→アンタクヤのバス代(27YTL)
    ・アンタクヤ→アレッポ(シリア)のバス代(7YTL)
    ======================================


    ※もっとトルコ写真(23点)を見る←


     

    旅の色

    • 2006.05.15 Monday
    • 01:24

    サフランボルの宿

    イスタンブールでシリアのビザをゲットしたあと、
    翌日サフランボルに発ち
    ボアズカレ、カッパドキアと続けて世界遺産観光をする。

    サフランボルでは素敵な出会いがあった。
    地球の歩き方のトルコ06〜07版の78Pでトルコ手芸のコラムを書いたk子さん。

    トルコではイスラム教の女性が頭にスカーフをかぶる。
    ガーゼのような薄い花柄のスカーフの縁にかわいらしい花柄や野菜や果物などが鈎針で縁飾りをしているものでこれをトルコではオヤという。
    それに魅せられたk子さんはトルコに4ヶ月滞在し、このオヤをマスターしたそう。
    なのでトルコ語ぺらぺら。
    オヤについて語るk子さんは本当にきらきらとしていて、
    本人も何時間話しても尽きないといっていた。
    聞いているとこっちまでそのオヤに魅入ってしまい、何枚かゲット。
    トルコにいる間はずっと頭に巻いていた。
    これを見たトルコ人には受けがいいんだな、コレが。
    いろいろとまけてくれる。

    k子さんのおかげでトルコのことが好きになれたし、勉強になった。
    なにかに夢中になることって本当に素敵なこと。
    私はいま、旅に夢中になってる。
    毎日が楽しい!
    出会う方によって旅の色も変わってくる。
    今回の旅でそれを痛感した。

    覚えたトルコ語
    メルハバ(こんにちわ)
    グレグレ(さようなら)
    インディリン ナパールムスヌス (安くして)
    ベン チン (私は中国人です)

    疲れているときトルコ人に何処から来たの?と聞かれジャポンと答えるとそれからが長くなるので「ベン チン」というとそこでコミュニケーションがなぜか終わるので助かった(笑)
    中国人嫌われてるな…。ちなみにアメリカ人も。。。

    その後のボアズカレ、ハットゥシャシュ遺跡はまあまあ。
    っというより歴史を把握できていなかったのでワクワクさが半減した。
    やはり歴史的世界遺産に行くなら歴史をある程度勉強しないと面白くない。



    こちらがオヤ。全てハンドメイド

    イスタンブールにて。

    • 2006.05.06 Saturday
    • 05:54


    イスタンブール到着。
    駅に着いてひと言。
    「……寒い」
    勝手に暑い国だと思っていたが、違った。。。
    宿の管理人さんいわく、北海道と同じ緯度らしく夏以外はそんなに暑くないらしい。
    ヨーロッパの物価の高さを実感し、トルコを期待していたが
    トルコも半分は香しきヨーロッパの仲間。
    以外と高い。
    しかも日本円のレートの低下、そしてトルコリラの上昇で安くはない。

    宿は日本人宿として有名な「tree of life」に滞在。
    初めての本格的な日本人宿で最初はドキドキものだったが予想通り
    日本人の方たちとも仲良くなり、毎日マンガ三昧…〔笑〕
    実は着いてすぐに泊まった宿は韓国人宿の「東洋」。
    やっぱり韓国宿に日本人がポツリと入ると何にしても戸惑いを感じる。
    韓国人のドミの中に日本人が一人。
    韓国語の寝言。
    全て戸惑いだぁ〜……。(何言ってたのか気になるわ!)
    なのでtreeに着いたときは、ホッとした。

    やはり日本人宿の醍醐味は情報が多くゲットできること。
    イスタンブールではシリアのビザをとるという大事な用事もあり、必然的に長く滞在するハメになる。

    本当は首都のアンカラでとる予定でいたが
    なんとビザ取りまで2週間弱かかるよう。
    だんぜんイスタンブールで取ったほうがいいとのこと。
    聞いといて良かったぁ……
    なので取れる間はしょうがなく
    渋々、漫画本で時間をつぶすしかないんですね〜(笑)
    なにせ、外は寒い・・・・
    そしてトルコ人がうざい。
    話は変わりますがトルコに着いて早々、通りすがりの男に
    「ファック オフ!!」と2度言われました。怒り
    ああぁ!?
    と振り返った自分がちょっと怖い……。


    ここで「ブラックジャックによろしく」「マスターキートン」を読みふける…。
    そして「ダメ部。」の本拠地(笑)

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