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    レバノン→シリアの国境越え

    • 2006.05.26 Friday
    • 18:53


    ベイルート→ダマスカスの国境越えは大変だった。。。
    レバノンに入るときはボーダーのおっさんも「ウェルカム!」なんつって笑顔で迎えてくれたが、逆は打って変わって冷たい……。
    笑顔で迎えてくれません。
    しかも、荷物検査も手厳しく、あの重い荷物を出したりしまったり、それだけも疲れる。
    何も悪いことしていないのに、ドキドキするのはなぜだろう。

    レバノンからヨルダンに行くときでもシリアに入らなければならないので
    またシリアのトランジットビザを取らなければならない。
    8U$。
    だが、ホテルで出会った韓国人のジュンは(ダマスカスでまた再会した)トランジットでも25U$かかると言われ(普通の15間有効ビザ)、一日なのになぜだ!?と抗議してもむかっつっぱねられ、一度ベイルートでタクシーに戻り、宿の人に確認し、やはり8U$だとわかった上でまたボーダーにタクシーで戻り、抗議してもむかっ25U$。
    なので諦めて25U$払ったそう……。
    なので総計75U$使ったとか。(タクシー往復50U$)
    なのでストレスからか体中に蕁麻疹ができていた。
    なぜベイルートに戻ったのかは不明。。。たらーっ
    うわさによるとボーダーの人によって対応が替わるよう。
    だが一緒にいたドイツ人と中国人は通れた。
    本当こればかりは運。
    ジュンは金髪で目つきが若干悪いので(笑)見たくれで判断されたのでは?と思われる。
    怒ると怖いしな〜…。。。
    やっぱり韓国人は意思が強い。

    本当はシリアに着いて、そのままヨルダンと思ったが、一日2回の国境越えはきついかも!と思いダマスカスで一時休憩。


    レバノンで初めてアメリカ人と会った。
    もちろん中東ではアメリカ人が嫌われている。
    トルコでアメリカ人と知らずに「どこから来たの?」と聞かれ「US・・・」と答えると100%の確率でブッシュの話題がでる。
    さも憎々しい感じで「ブッシュ!」と罵るのだ。
    レバノンであったアメリカ人もブッシュのせいで旅がしづらくなったと嘆いていた。
    だが宿で働いていたシリア人の青年が
    「アメリカ人はナイスピーポーだ! だがブッシュだけは嫌いだ!!」
    と言っていたのは救い。。。

    ちなみにシリアと北朝鮮はお友達のようで珍しく北朝鮮大使館がありました。
    韓国人であるジュンは写真を撮りまくっていた・・・。

    金曜日。
    中東では日曜日にあたる。
    もののみごとに店が全部閉まってる。。。。
    静かだ・・・月
    3時のバスでヨルダン、アンマンへ・・・・





    レバノン==================================
    【滞在期間】 3日間(5月23〜25日)
    【移動経路】パルミラ⇒ホムス(バス)⇒トリポリ《レバノン》セルビス⇒ベイルート(セルビス)
    【使ったお金】41U$=4,920円(1U$=約120円)

    ■予算情報■
    ・ホムス《シリア》→トリポリ《レバノン》のセルビス代(2U$)
    ・トリポリ→ベイルートのセルビス代(3U$)
    ======================================


    ※もっとレバノン写真(14点)を見る←


    空爆を受ける一ヶ月前のレバノンで

    • 2006.05.25 Thursday
    • 15:55


    パルミラからバスでホムスへ向かい、ホムスからセルビスに乗換え、レバノンのトリポリ、また乗換えでベイルートへ。
    一気の移動にベイルートの宿に着いた時には疲れ果てていた。

    しかし、パルミラからホムスのバスにて、ちょっとビビってしまった。
    当たり前だが全てアラブ人。
    東洋人の私はかなり浮く……。
    みんなにジロジロ見る。
    ……し、視線が怖い。
    一番の後頭座席に乗る。両隣に座っていたアラブ人が目を見張る程、綺麗だ。
    目鼻立ちくっきり…。
    クレオパトラ並みの濃い化粧。だけどケバケバしくない。
    そしてかぐわしい香り…。
    私が眠くてウツラウツラしていたら右側に座っていた女性が私の肩をポンポンと叩き自分の肩に寄りかかるか、お膝元に横になれという。
    …そ、そんなことできません。
    恐れ多い……。
    大丈夫と彼女らに告げるとにっこりと笑った。
    やさしいお言葉ありがとう。。。。ときめき

    実はホムスからレバノンに入国するとトランジットビザ(48時間)ではなく一週間ビザがとれると聞いていた。
    だが、入国していざパスポートを見ると、
    「トランジットビザ」のスタンプが。
    くそー、うまく言ったはずだったのに…言葉足らずだったか……。
    ショックしょんぼり

    ベイルートに入ってひと言。
    「都会だー…」
    シリアと打って変わり近代都市です。
    ですが所々見ると内紛の生々しい傷跡が。
    そういえばレバノンはちょっと前まで無法地帯だった。
    ビルの所々に銃弾の痕、空きビルを見るとそれを実感する。

    宿のオーナーや、働いているアレッポ出身の青年は実に楽しかった。
    アレッポ青年はいつも鼻歌を歌っていて、おどけている。
    自炊していた時、彼とふざけ合ったことと、テラスから見た夕日が忘れられない。

    実はレバノンまでの道のりに私はナーバスになっていた。
    出会い別れが立て続けにあったのと、一人になってこちらのレバノンに入国することに突然不安にかられたのだ。
    一瞬、過酷に感じた旅に疑問を感じた。
    旅とは楽しいもの。なんでこんな苦しい思いをしているのだ?

    その時、ベイルートの宿である日本人の男性と話をする。
    彼の名前はヒデさん。
    アフリカの2年間の旅を経て、イスタンブールから日本へ帰るという。
    山が好きだそうで世界のほとんどの登山は制覇。
    歩くこと自体が好きだそうでスペインの巡礼の道も2ヶ月かけて歩いたという。
    以前は海外青年協力隊でパプアニューギニアに行き、船関係の技術を教えていたらしい。
    その後は手話の勉強をしJAICAで勤務。
    耳が聞こえない人が表情豊かに意思を伝えようとしているところを見て、言葉より表情、動作で伝えようと心がけているらしい。
    帰国してやりたいことは屋久島で山のガイドをすること。
    経歴もさることながら、それ以上にいろいろ苦労もしたらしく、理想と現実の違いに一時期は悩んだらしい。
    ヒデさんは言う。
    「全ての経験はかならず今後の糧になるよ。どんなつまらないと思っている経験でもかならず意味がある」
    その言葉で自分のモヤモヤが晴れていくのを感じた。
    全ての経験になにかしら意味を持つ。
    そう考えるとホッとした。
    内紛の痕を見て、私は目を背けていた。グッタリしていたのだ。
    全てが楽しいことばかりではない。
    人生も呵り。
    レバノンもまた、辛い歴史を乗り越えて今がある。

    そのはずだった。

    私がレバノンを離れて一ヶ月後、ベイルートはイスラエルによって空爆をうける。

    オーナーがシーシャを吸いながらテレビを見て
    「NO WAR!!」
    と叫んだことが忘れられない。





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